宗英寺は横浜市青葉区の北西に位置し、多摩丘陵の丘の上にあります。
周囲は緑も多く、四季の彩りを添えてくれる。宗英寺の墓地から
一歩あるけば川崎市側に入る。
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庚申幢

宗英寺の石造庚申塔は平成9年横浜市の文化財に指定されています。

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青葉区の文化財・石造庚申幢
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庚申信仰と庚申幢

庚申信仰とは中国の道教からきているもので平安、室町、を経て 江戸時代に盛んになった民間宗教。人間の体の中には「三尸(さんし) の虫」というのがいて、この虫は人が死ぬと体外へ出て自由なことが 出来るので、常に人の早死にを望んでいた。このため60日に1度来る 庚申(かのえさる)の日の夜、人間が寝ている間に体から抜け出して 天に昇り、天帝にその人の罪過を告げに行く。すると天帝はその罪状 に応じて邪鬼に命じてその人の寿命をちじめるという。人間が寝なけ れば「三尸(さんし)の虫」は体から抜け出て、罪過を告げに行けない ので、庚申の夜は講中の人たちが集まって飲食や懇談をしながら寝ずに 夜を明かした。これが庚申信仰である。

鉄町の庚申幢

庚申幢は「庚申様」を信仰する人たちが供養のために
建てた石塔のことで、道路の辻やお寺の境内に建てられた。
「庚申の日」とは、10干(甲、乙、丙、丁戊、己、庚、
辛、壬、癸)12支(子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、
申、酉、戌、亥)を組み合わせて元に戻った日を
「庚申の日」という。つまり12支の方が2多いから、10
と12の最小公倍数は60。だから60日毎に巡ってくる。
鉄町にも石造の「庚申様」がある。鉄町のバス道路沿いに
倉田屋というお店がある。このお店の側の角にある。下の
写真が「庚申様」で下の方に右側から「願主、村 中 庚」と
石に刻まれている。

庚申様

庚申幢

何時頃からあったのか鉄町の長老3人に聞いたけど不明だった。
また、一人の長老が「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿の
石塔があるというので見に行った。すぐ側まで桐蔭学園の新しく
出来たグランドのヘンスがあり、人目につかない場所に静かに
置かれていた。石塔には寛文9年(1669)己酉(つちのととり)
3月17日と刻銘がある。三猿といえば鉄町の宗英寺にある
庚申幢は3猿と鶏が彫られていて、延宝4年(1676)の
刻銘がある。
下の写真が人目のつかない場所にあった石造です。鉄町は江戸時代
から庚申信仰が盛んだったのかも知れませんね。

庚申幢

庚申幢

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