文化・文政(江戸時代)の頃、
當鉄町の住人にして、力萬助
と称されし村谷萬助が、江戸
往還の途、多摩川河畔より五里
の道中を一人肩に負い當山
鎮守堂に奉納せしものなり。爾来
當地の若者たちが角力を競いし
謂れあり。茲に祖先の遺徳を偲び
台座を築き之を安置する者也。
維時 昭和五十一年十月吉日
萬助四代子孫 村谷 留吉 建之
當山三十九世代